私は旅行が好きだ。
キャンプも好き。
時間とお金があれば、迷わず旅に出る。
知らない土地を歩き、美味しいものを食べ、美しい景色を眺める。
「人生を楽しむなら、旅は欠かせない。」
ずっとそう思ってきた。
でも、ある時ふと思った。
本当に私は、景色を見たくて旅をしているのだろうか。
なぜ人は、旅に出たくなるのだろう。
深く考えたことなど、一度もなかった。
人は不思議な生き物だ。
いまある大切なもの、かけがえのないものには、なかなか気づけない。
その一方で、自分に「ないもの」ばかりを探しては、焦り、比べ、悲観することだけは上手になってしまう。
そんな人が、今は増えている気がする。
SNSを開けば、誰かの成功や豊かな暮らしが流れてくる。
気づけば、自分の人生を見つめる時間より、誰かの人生を眺める時間のほうが長くなっている。
もっとお金があれば。
もっと自由があれば。
もっと評価されれば。
もっと、もっと──。
でも、本当に失いたくないものは、案外いつも目の前にある。
家族との何気ない会話。
当たり前に帰れる家。
笑ってくれる人がいること。
健康な体。
そんな「当たり前」は、ある日突然、当たり前ではなくなる。
旅に出ると、美しい景色に出会う。
山頂から眺める景色。
どこまでも続く海。
静かな湖。
満天の星空。
その瞬間は、心が震える。
でも、不思議なことに、その景色は少しずつ記憶の中で薄れていく。
その代わりに、いつまでも消えない景色がある。
父のたくましい背中。
母のふくよかで優しい笑顔。
兄の変わらない優しさ。
妻と過ごした何気ない毎日。
息子が少しずつ大人になっていく姿。
本当は、これ以上に美しい景色なんてなかったのかもしれない。
「大切な景色を、ちゃんと見ているか。」
旅をするたびに、そんなことを人生から問いかけられている気がする。
絶景は、また見に行ける。
でも、天国へ旅立った母には、もう会えない。
父のたくましかった背中も、あの頃のまま見ることはできない。
だから私は思う。
旅は、遠くへ逃げるためのものではない。
日常から離れるためだけのものでもない。
遠くへ行くからこそ、近くにあった幸せが見えてくる。
帰る場所があること。
待ってくれる人がいること。
何気ない毎日が、どれほど尊いものだったか。
そのことを思い出すために、人は旅をするのかもしれない。
人生で一番美しい景色は、遠くにあるものじゃない。
いつも、すぐそばにある。
そして、その景色は、失って初めて気づくことが多い。
だからこそ私は、旅に出る。
遠くの景色を見るためではない。
目の前にある景色が、どれほど幸せだったのかを、もう一度思い出すために。

