小さい頃、不味いと思っていたウニが、今では大好物だ。
小さい頃は絶対に食べられなかった塩辛も、今では酒のつまみとして最高だと思う。
年齢を重ねると味覚は変わる。
そして最近気付いた。
どうやら変わるのは味覚だけではないらしい。
小学生の頃に夢中になったガンダムを見返してみたら、驚くことがあった。
子供の頃は悪者だと思っていたシャアが、妙にかっこよく見えるのだ。
私の幼少期は、ガンプラ、キン消し、ビックリマンシール全盛期だった。
その中でも、一番最初にハマったのがガンダムだった。
とはいえ、最初から物語に夢中だったわけではない。
入り口はあくまでもガンプラだ。
今の子供たちには少し想像しにくいかもしれないが、当時のガンプラは特別だった。
お小遣いを握りしめて向かうのは、近所の「駒井書店」。
本屋なのか、おもちゃ屋なのか、文房具屋なのか。
子供だった私にはそんなことはどうでもよかった。
そこは地域の子供たちにとってのワンダーランドだった。
欲しいガンプラが売り切れていることもある。
再入荷の日を待ち、ようやく手に入れた箱を抱えて家に帰る。
説明書を見ながら組み立てる。
完成した時の達成感は格別だった。
やがて説明書を見なくても組み立てられるようになった。
パーツを見ればどこに付くか分かる。
今思えば、それなりに重症だったと思う。
私は特にジオラマ作りが好きだった。
ただ作るだけでは満足できなかった。
アニメの名シーンを再現したかったのだ。
最終回のガンダムとジオングの戦い。
頭部を失ったガンダムが、最後の一撃を上空へ放つあのシーン。
あれを再現したくて仕方がなかった。

ガンダムの首を外し、
角度を調整し、
背景を工夫し、
時にはせっかく作ったボディを壊し、
ライターで炙って戦闘のダメージを表現した。
頭の中では常にアニメが再生されていた。
今思えば、かなりのガンダム少年だった。
だから当時の私にとって、ガンダムの世界はとても単純だった。
ガンダムは正義。
連邦軍は味方。
シャアは敵。
だからシャアは悪。
疑う余地なんてなかった。
主人公は正しくて、敵は悪い。
子供の世界はシンプルだ。
ドラえもんならジャイアンが悪者。
水戸黄門なら悪代官が悪者。
ガンダムならシャアが悪者。
それで話は終わりだった。
正直、小学生の頃に観た内容を細かく覚えているわけではない。
ガンダムの後にも夢中になるものはたくさんあった。
部活もあった。
美容師になった。
仕事に追われた。
気付けばガンダムの記憶もずいぶん遠くなっていた。
そんなある日、ふと見返してみた。
すると不思議なことが起きた。
昔ほどアムロに感情移入できない。
むしろシャアの方が気になる。
いや、それどころかシャアがかっこいい。
なぜだろう。

私は美容師になった。
店長になった。
独立した。
会社を作った。
店舗を増やした。
そして減らした。
人が辞めた。
辞める人を見送った。
裏切られたと思ったこともある。
逆に、自分が誰かを傷つけたこともあったと思う。
若い頃には見えなかった景色が、少しずつ見えるようになった。
最近書いた記事で、
「厳しさは悪なのか」
ということを考えた。
若い頃なら簡単だった。
怖い人は悪。
優しい人は正義。
そう思っていた。
でも現実はそんなに単純じゃない。
厳しい人には厳しい人なりの理由がある。
守りたいものがある。
背負っている責任がある。
美容室経営も同じだった。
スタッフにはスタッフの正義がある。
経営者には経営者の正義がある。
辞める人には辞める人の正義がある。
残る人には残る人の正義がある。
だから揉める。
だから理解し合えない。
だから難しい。
でも、どちらか一方が絶対的な悪というわけではない。
そんなことを考えるようになってから、シャアの見え方が変わった。
子供の頃は悪者だった男。
でも今見ると、彼にも彼なりの正義があるように見える。
もちろん賛成できない部分もある。
やり方も過激だ。
それでも彼は、自分が悪だと思って戦っているわけではない。
彼は彼なりに、世界を変えようとしている。
そして私は思った。
もしかすると子供の頃の私は、ガンダムを見ていたのではなく、ガンダムの表面だけを見ていたのかもしれない。
モビルスーツのかっこよさ。
戦闘シーンの迫力。
主人公と悪役。
それだけで満足していた。
でも大人になった今、違う景色が見える。
そしてもう一つ気付いたことがある。
実は私は昔から、ガンダムより好きなモビルスーツがいた。
ザクではない。
グフだ。

そしてゲルググだ。

ガンダムの次に、なぜか私はグフのプラモデルを買った。
子供の頃は単純に「かっこいいから」だと思っていた。
でも今振り返ると、あの頃の私は無意識に主役ではない側に惹かれていたのかもしれない。
なぜ私はガンダムではなく、グフやゲルググだったのだろう。
②へ続く


