私的真面目論

コラム&雑談

4月から新入社員が各店に配属になり、後輩ができた2年目もなんだか楽しそうである。

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今だから言えるが、

私は1年目の新入社員としての入社式の前日に緊張とワクワクでついつい、

ジャックダニエルをほぼ1本飲み干してしまい、

翌日は経験したことのない猛烈な二日酔いに襲われ、入社式を退席したという過去があります。(当時は体調不良ということになってまして、てへへ、へへ・・・、へ)

つまり、とんだクズ野郎でした。

ふざけてるつもりもないのに、講習中に店長クラスの人に「ふざんけんな、帰れ!」

と言われて、素直に帰宅し、

翌日「お前、何帰ってんだ!」と怒られるという、

当時の私はクズというグループにカテゴライズされていたようです。

でも自分は素直に帰っただけなんですけどね。言い返したりするのもめんどくさかったし。

そんな私も2年目となると先輩なわけです。

クズはクズなりに後輩を指導しなければならない。

シャンプー練習の時に、「リズムよく原田知世の『ロマンス』を歌いながらシャンプーしてみて」「自分は指からお湯が噴き出すシャンプーモンスターだと思って自信もってやってみて」

なんて後輩が私に教えられることで練習を「楽しい」と思ってくれるように教えていました。

最後に練習帳にコメントやフィードバックを書いて返すのですが、私は毎回イラストや漫画で返していました。

そしたら先輩たちに、

「吉田君さ、もっとまじめにちゃんとやってくれない?ふざけないで」

と言われるわけです。

真面目に教えたら、マジメに聞いてくれるものなのでしょうか。

「こっちは真面目に教えてんだから、もっとちゃんと真面目に聞け!」

そんなこといわれたら、練習や勉強は楽しい時間じゃ無くなってしまう。

真面目な姿勢って、いったいどういうことなのでしょう。



「この人に教わりたい」という気持ちは、その時間の「やらされている感」を消してくれる。

ましてや自分の意思に反して美容師をやらされている人なんていないと思うし、だいたいの人がやりたくてやっているから、教える側も工夫すれば練習は楽しい時間になる。

大事なことは、この練習が誰のために、どんな目的に向かっているものなのかを理解したうえでやること。

そして継続できる楽しいものにしていくこと。

いま思い返してみると、私は勉強を楽しいとか思ったことがなくて、それに比例するように好きな先生もいませんでした。嫌いな先生はいっぱいいたけど。

だって、授業が楽しいなんて思ってことが無いから。

フリー素材ってこんなのあるんだね。

でも大好きな先生がいたら、その教科って好きになると思うんです。

好きな先生の楽しい授業だったら、絶対。

出逢ってないので想像なのですが、良い先生って「ふざけない」「真面目な」先生なのでしょうか?

ただテストに出るからと言って勉強「させられ」、テストの結果が悪いとできるまで「やらされ」る毎日。たのしいかな?

勉強することの楽しさ、深さ、その教科の面白さや考え方、伝えるべき順番がちゃんとあって、それを理解させたうえでスタートしてれば、

もっともっと楽しく学んで、結果に悔しがって、また頑張ろうとする。

やらされるわけでなく。

社会人になったら、その要素はもっと強くなる。

プロセスを褒めて伸ばせるのは子供の時だけ。

我々にとっては結果がすべてであるからこそ、私の役割りは「真面目なスタッフ」に育てることではなく、「社会を強く生き抜くことのできるスタッフ」に育てること。

真面目なスタッフだけで構成したほうが、確かに退社は少ないだろうし、組織は大きくなるのかもしれないので、これが良いか悪いかわかりませんが・・・。

たとえ会社を離れたとしても、その意味をじわじわと感じる時がいつかやってくるはず。

真面目なだけでは、勝てないのである。

真面目なだけで、結果が出ないのなら、それは不正解。

真面目には見えないが、柔軟な考え方と、素早いフットワークで結果を出せれば、それは正解。

仕事も、そして政治家も「やってる感じ」には何の意味もない。

もし例を挙げるとするならば、

真っ白い壁にふとしたことで穴をあけてしまう。その時あなたは、

①元に戻して最初の状態に近づける方法を考える。

②放っておく

きっとこれ以外の何かを思い浮かぶ人が、結果を出す人なのかもしれませんね。

特に私たち美容師は。

①はマジメでほぼ大多数 ②は不真面目

ではこれ以外となると

③空いた穴を活かして、なにか面白く、もっと素敵にできないか考えてやってみる。

実際やるかやらないかは別として、ふとそんなイメージができる人が、柔軟で発想が豊かなんじゃないかと思うんです。

私たちの世代は、とにかくマジメが正義と教わってきたので、飛び出したらいけないということも刷り込まれてしまっていて、失敗して恥をかくことがものすごく怖いのです。

きっとみんなならこうするだろう。普通はこうするべきだろう。

出る杭は目立ってしまって粛清の対象になってしまう。

そうではなく、いい意味で出る杭をもっと引き上げてくれる世の中があってもいいのではないかと思います。

人に迷惑かける出かたじゃなければね。

厳しさなんて、社会に飛び込んだら黙ってても教えられちゃうんだから、

真面目に楽しまなきゃ。

どの業界も、やはり結果を残すのは、

「素直」に「楽しむ」ことを「継続」できる「変態」。

S T K H !

私的真面目論、終了!

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