創業5年で、4店舗。
今なら、もっと速いペースで出店していく敏腕経営者はたくさんいるだろう。
とはいえ、当時としても決して遅いペースではなかったと思う。
これからだ。
もっと組織を強くして、
5店舗……
10店舗……。
当時の私には、
美容室経営は、出店と拡大こそ王道。
それしか頭になかった。
周りの経営者もそうだった。
……というより、
そういう経営者としか接していなかっただけなのかもしれない。
どんどん求人して、
どんどん人を増やして、
どんどん出店する。
それが「成長する会社」だと思っていたし、
実際、業界にもそんな空気があったように思う。
会社が右肩上がりで成長していた、そんな頃。
創業時から最初の店長に抜擢し、
実質的なNo.2だったスタッフと酒を飲む機会があった。
もっとも、彼と酒を飲むこと自体は珍しくもなんともない。
よく一緒に飲んでいた。
誰よりも会社のことを相談し、
お互いに意見を交わし、
これからの会社について何度も語り合ってきた。
彼がもともと、
「いつかは独立したい」
という思いを持っていたことも知っていた。
ただ、創業してからの彼は、
会社とともに成長していくという意思も見せてくれていた。
だからこそ私も、
誰よりも彼を信頼し、
誰よりも権限を与え、
それに見合う報酬も渡していた。
実際、彼は多くのスタイリストを育ててくれた。
会社にとって、
間違いなく大きな存在だった。
その日も最初は、
いつものくだらない馬鹿話だった。
ただ、
いつもより少し酔っているように見えた。
酒が進むにつれて、
少しずつ話の方向が変わっていった。
会社への不満。
私への不満。
愚痴。
もちろん私も酔っている。
どこまでが本音で、
どこまでが酒の勢いだったのかは分からない。
ただ、
彼の話を聞いているうちに、
それまで見ないようにしていたものが、
はっきりと見えてしまった気がした。
彼が見ている未来と、
私が見ている未来は、
もう同じではない。
彼の最終的な目標は、
やはり「独立」だった。
会社とともに大きくなっていくことではない。
いつかここを離れ、
自分の店を持つ。
そして、それまでの間、
できるだけ会社に迷惑をかけない形で去る。
おそらく彼なりに、
そこまで考えていたのだと思う。
その後も話を続けたが、
彼がこの会社に残り続ける未来を、
私はどうしても想像できなくなっていた。
そこで、
別の不安が頭をよぎった。
彼が独立の準備を始め、
「会社に迷惑をかけない形で辞めよう」
と動き始めたとき、
果たして本当に、
彼一人だけが会社を去るのだろうか。
彼はNo.2だ。
多くのスタッフを育て、
慕われ、
影響力もある。
そんな彼が会社の外を向いた状態で、
半年、一年と働き続ける。
私には、
それが組織にとって良いことだとは思えなかった。
これまでの経験上、
美容室というところは不思議なもので、
スタッフは「辞めていく人」に強い興味を持つ。
そしてなぜか、
一緒に働いていたときよりも、
辞めてからの方が強くつながったりもする。
不思議な業界だ……。
だから私は、
一つの決断をした。
彼が思い描いているシナリオよりも、
早く会社を去ってもらおう。
売上だけを考えれば、
もちろん少しでも長くいてくれた方がいい。
彼自身も売上をつくる。
後輩も育てられる。
会社にとって大きな戦力だ。
それでも、
独立までの準備期間が長くなればなるほど、
彼の未来に感情移入するスタッフが増えていくかもしれない。
もしそうなれば、
組織は一気に傾く可能性がある。
目の前の売上を守るか。
これからの組織を守るか。
私は、後者を選んだ。
将来的な損失を抑えるためにも、
彼には予定よりも早く退社してもらうよう促した。
今となっては、
それが正解だったのか、
間違った選択だったのか、
正直、分からない。
もっとこうしていれば。
もっと話していれば。
違う未来もあったのではないか。
そんな後悔がないと言えば、
嘘になる。
ただ、
不本意な形ではあるものの、
結果として彼がずっと望んでいた「独立」という夢を、
早く実現させることにもなった。
長く一緒にやってきた仲間が、
会社を去る。
もちろん寂しさはあった。
戦力として考えても、
痛くないはずがない。
それでも、
会社は前に進まなければならない。
4店舗まで増えた。
ここからまた、
組織を立て直していけばいい。
5店舗。
10店舗。
私の中から、
その目標が消えたわけではなかった。
むしろ、
「ここからだ」
と思っていた。
人が辞めることも、
経営をしていればある。
問題が起きれば、
その都度考えて、
決断して、
乗り越えていけばいい。
なんだかんだ、
ここまでだってそうしてきた。
だから、
この先もなんとかなる。
たぶん私は、
どこかでそう思っていたのだと思う。
そんな頃だった。
テレビやネットで、
中国で発生したという、
聞き慣れない感染症のニュースを目にするようになった。
最初の頃は、
まさか自分たちの生活にまで影響するとは思っていなかった。
ましてや、
自分の会社の未来を大きく変えることになるなんて、
想像すらしていなかった。
新型コロナウイルス。
それまで私が経験してきた経営上の問題とは、
まったく種類の違うものが、
すぐそこまで迫っていた。

