うどんの値段は同じであっても、客を大事にしてくれる店、まごころこもった親切な店には、人は自然に寄りついてゆく。
その反対に、 客をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない、そんな店には、人の足は自然と遠ざかる。
客が食べ終わって出て行く後ろ姿に、しんそこ、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち、そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功するのである。
こんな心がけに徹したならば、もちろん、うどんの味もよくなってくる。
一人ひとりに親切で、一杯一杯に慎重で、湯かげん、ダシかげんにも、親身のくふうがはらわれる。
そのうえ、客を待たせない。たとえ親切で、うまくても、しびれが切れるほど待たされたら、今日の時代では、客の好意もつづかない。
客の後ろ姿に手を合わす心がけには、早く早くという客の気持ちがつたわってくるはずである。
親切で、うまくて、早くて、そして客の後ろ姿に手を合わすこの心がけの大切さは、何もうどん屋さんだけに限らないであろう。
おたがいによく考えたい。
松下幸之助 「道をひらく」抜粋
はぁ~(*´Д`) まったくその通りですね。
レジの店員さんがいつも笑顔で感じが良ければちょっと待ってでもその店員さんのレジに並、・・・びはしないですけど、やはり気分いいですよね。
お金払って商品を手にしたとき、「ありがとうございます」って言いたくなりますよね。
「あの美容師さんは愛想が悪く笑顔がない。対応も良くない。しかもめっちゃ待たす。でも技術はうまい。だから指名する」
今時そんな人いるんですかね?美容師側もお客さん側も。
お客さんから見たときの「上手」と、美容師のいう「上手」って、
けっこうずれがあったりしますよね。
「アイツへたくそなくせに、俺よりめっちゃ指名数多い。意味わかんない。」
なんてね。
意味わかんないのお前じゃボケ。
お、いかんいかん。私らしくないぞ。こら。
私は「日々のあたりまえに感謝できる人」って自然と人を惹きつける空気を持ってるのでは?なんて思ったりします。
話はずれてるのかもしれませんが、←いつも
「手を合わす」といえば、「いただきます」
私は肉も魚も好きです。
でも、肉も魚も、食卓に出される前は、
むしゃむしゃ餌食べたり、適度にお散歩したり、横を見れば仲間がいたり。
そして生んでくれた親がいたはずなわけです。
ガブガブ餌食べたり、適度に泳ぎ、群れの中で仲間にかこまれていたり、
そして生んでくれた親がいたはずなのです。
引き離され、首を落とされ、皮を剥がれ、切られ、そして焼かれたり蒸されたり・・・。
そうして食卓に出されるわけです。
そして、私たちの代わりに、
育て、見守ってきた命の首を切り落とし、皮をはぎ、切り、出荷してくれている人がいるわけです。
自分で動物を捕まえ、首をはね、血を抜き、皮をはぎ、切り落として、焼いて食べる。
できる人は少ないはず。
なんなら、そんな人に対し「うわー、残酷!信じらんなーーい!無理―――!」
なんて思っているでしょう。
でもいざ目の前に出されると、
「うわぉ―――♡、めっちゃ美味しそう!映えるーー!パシャパシャ・・・」
ってね・・・。
でもって食べたら食べたで、
「んーーー、なんかビミョー。まずーーーい。」
ってね・・・。
どのようにして自分の目の前に運ばれてきたのか。
そこにたどり着くまでにどんな人たちの、どんな思いがそこにあるのか。
考えたら軽々しく「まずい」なんて言えません。私は。
牛さん、豚さん、鳥さん、魚さん。野菜さんだってそうです。
親からもらった大切な「命」を「いただいている」以上は、
そして自分ができない事をやってくれている人たちがいる以上は、
「いただくね。そして君たちや、君たちの親や、君たちをここに連れてきてくれた人たちの為にも、
その命を大切にして、これからも一生懸命俺は生きていくぜ!」
って気持ちで食べれば「まずい」なんて思いません。
なんでも「美味い!ありがとう!」って思えたりするものです。
この肉は質が悪いだのくさいだの、この肉はA5ランクのシャトーなんちゃらだの、神戸がどうたら前沢がどうたらTボーンがなんやらかんやら・・・。
てめーがもし豚で、自分の子豚を食ってる人間が、
「まっず、最低」
とか言ってたらどう思いますか?
この豚野郎!って言いたくなりませんか?
みんな大切な命だっつーの。
私は本当のグルメというのは、お肉を口に入れた瞬間、ありとあらゆることに思いをはせることができる人のことを言うのだと思います。
みなさんも、本当の意味でのグルメになれれば、
きっと自分がいかに幸せか気づくはずです。
さて、
美味い焼肉でも食いに行くか。
え?だったら「安○亭」でいいじゃないかって?
ま、まあ・・・、そ、そうなんですけどね・・・。
もちろん安○亭もおいしいですよ・・。
やっぱ、もっと美味しいお肉食べたいじゃないですか(笑)
以上ノングルメ吉田でした。