愚痴について、思ったこと。
さて、衆議院選挙が終わりました。
落選した政治家の中には、
「自分の力が至らなかった」
「支持者の皆様には申し訳ない。最後まで応援してくれて感謝します」
という政治家もいれば、
「ネットの誹謗中傷のせいで負けた」
「デマの拡散で負けた」
と、矢印が全く自分に向かない他責な政治家もいる。
終始演説でも、自身の政策ではなく「他者批判」だけに終始して落選した政治家もいる。
なんなら、法的な処置をちらつかせたり・・・。
まあ、
勝つのが当たり前だったから、悔しいのはわかる。
ただ、人生の先輩達のそんな姿は、
正直見たくない。
でも、まあ、愚痴の1つや2つはいいたくなるよね。
昔の自分は、
「愚痴は言わないほうがいい」と本気で思っていた。
誰かの愚痴を聞いて、うんうんと頷きながらも、
「それを言って何が変わるんだろう」
「結局、時間の無駄じゃないか」
そんなふうに、少し冷めた目で見ていた気がする。
たぶん、正論だったと思う。
少なくとも、若い頃の自分にとっては。
でも、年を重ねて、
いろいろな人と関わるようになって、
少し考えが変わった。
愚痴って、
問題そのものじゃなくて、
“整理できていない感情”なんだなと。
余裕があるときは、
同じ状況でも愚痴にはならない。
でも、疲れていたり、
誰にも話せなかったり、
「分かってもらえない」と感じていると、
言葉は愚痴の形で外に出てくる。
実際、自分もそうだと思う。
それを
「ダメだ」「前向きじゃない」で切り捨てるのは、
ちょっと乱暴だったなと思う。
愚痴そのものは、
別に悪者じゃない。
ただ、
愚痴のまま終わらせるかどうかが大事なんだと。
吐き出して、
少し落ち着いて、
「あれ、じゃあ自分はどうしたいんだろう」
そこまで辿り着けたら、
それはもう“意見”や“考え”になる。
昔の自分は、
早く答えを出そうとしすぎていたのかもしれない。
愚痴を言う人に、
すぐ正解を返そうとして、
その前にある感情を、ちゃんと見ていなかった。
今も、愚痴をたくさん言う人が得意なわけじゃない。
でも、
「この人はいま、何に引っかかっているんだろう」
そう考える余裕は、少し持てるようになった。
それだけで、
人との距離はだいぶ変わる。
愚痴を言わないことが大人なのか、
愚痴を言える相手がいることが大人なのか。
正直、どっちでもいい。
ただ、
昔より少しだけ、
人の弱さに鈍感じゃなくなれた気がする。
今日は、そんな雑感。

